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歴史との挑戦

70年をリセットする

70年という歴史の中で醸成された風土や既存の仕組みには、良い部分も悪い部分もある。まずはゼロベースで捉えることで、そこを明確にし、改革へと臨みます。 歴史とは何か、私たちは何と向き合っているのかを分析し、明確にするためにここにタカキュー70年史を掲載します。

Who is TAKA:Q ?

人生は旅。人も企業もそれは同じだ。
人は独りで生まれ、独り人生を終える。しかし、
企業は幾世代もの人がそのトランクをたずさえて、
その企業の永続を支え続ける。
70年という、そのトランクの重みをいま確かよう。
“ Who is TAKA:Q ? ”
そして私たちは、次の未来へと歩き出す。

※タカキュー70周年記念サイト「たかしお」より


洋服屋ではない。我々は「ファッション屋」だ

敗戦、占領下の焼け跡暮らし、飢え、物資の不足・・・
闇市で売られる、くたびれた衣類やボロ布は
今から見れば、ファッションと呼べるようなものではなかったかもしれない
でも人びとは、身につけるその布一枚に生活の彩りを感じた

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1947年、戦後の混乱がまだまだ残る頃、創業者 高久泰憲(たかく たいけん)・治子夫妻は、新宿駅西口の線路際におよそ5坪の店舗を手に入れた。中国からの引き上げ後しばらくは、リヤカーに自分たちの出身地の名産である下駄とみかんを積んで行商をしていた。そして手に入れたお店。お店には出身地「栃木県都賀郡」から「都賀屋」という屋号をつけた。

ただ、店は手に入ったものの売る商品がない。治子専務の嫁入りに持ってきた和服類を売り、ようやく仕入れ資金をつくったという。果物屋で買ってきた「リンゴ箱」で叩き台をつくり、商品を並べる。線路際の道は泥道で、高久自らリーダーとなり、金を集めて舗装工事を行うなど、創業は悪戦苦闘の日々だった。

1950年、高久の個人営業店舗を継承し、株式会社高久(たかきゅー)設立。翌年には当時の常識を破り、仲通りではなく、表通りにお店を出店。当時、洋服屋は仲通りに店を構えるのが常識だったが、高久は「人通りの多いところならば間違いはない」と確信し、旧西口本店を表通りに出店した。周囲の競合店は口々に失敗を予測したが、周囲の予測とは裏腹に、旧西口本店は開店直後から驚くべき売上を示した。最初は嘲笑った人たちも洋服の新しいマーケットに気づき、1年後には仲通りの洋服店はすべて表通りに移転してきたという。

創業期から、高久がいつも口にした言葉がある。「顧客最優先」「足の速い二番手」である。

「足の速い二番手」。それは、決して一番前を走ることはない、二番手でいい、ただ、流行を察知したら、すぐにメーカーへ走れ!という意味だ。つまり、ファッションに対して足が速いのではなく、モノを集めることに対して早い。

今でこそ多くの企業が掲げる「顧客最優先」という言葉ではあるが、高久は戦後の混乱期から、すでにこの言葉を繰り返し口にしていた。

顧客のために、いま一番カッコいい洋服を揃える。タカキューの原点はここにある。決して“尖った”洋服屋ではない。“着る楽しみ”をより多くの顧客に提供する「ファッション屋」なのだと、高久は考えていたはずだ。

現在の新宿西口「思い出横丁」線路際
現在の新宿西口「思い出横丁」線路際
旧西口本店があった表通り
旧西口本店があった表通り
1957年の追分店(2号店)
1957年の追分店(2号店)

My Life My Fashion 「ファッション屋」がメンズファッションを牽引する

ファッションショーや既製服のサイズ体系統一など、戦前・戦後ともに、これまでファッションの大衆化は百貨店を中心にレディースファッションが主であった。

1964年、タカキューは漢字の「高久」から英字表記の「taka-Q」へロゴを変更。翌年には新宿東口本店を開店し、メンズファッションの牽引役として大きく名乗りを上げた。

男性がファッションに関心を持ち始めた時代。新宿もヤングとファッションの街として生まれ変わろうとしている頃だった。1970年、キャッチフレーズ「Challenge for men's fashion now」を発表。多くの人に“着る楽しみ”を提供する「ファッション屋」は、時代の寵児となろうとしていた。

1972年、「我々は、“尖った”洋服屋ではなく、“着る楽しみ”をより多くの人に提供する「“ファッション屋”なのだ」というタカキューの原点を語るにふさわしいキャッチフレーズが誕生する。

My Life My Fashion

生活に彩りを添え、時に高揚感を演出し、特別な思い出となるファッション。
「“My Life My Fashion”=ファッションこそが人生に彩りを添える」は、ファッションの代名詞ともいえる「流行」さえも超える、“着る楽しみ”という普遍的価値を謳った言葉であった。

この言葉とともに、メンズファッションを牽引するという大役を担ったタカキューの快進撃が始まる。

高久社長・副社長1970年旧本社前にて
高久社長・副社長1970年旧本社前にて
「高久」から英字表記の「taka-Q」へロゴ変更
「高久」から英字表記「taka-Q」へロゴ変更

多店舗化とプライベートブランドによる躍進

1960年代後半から日本の小売業創業者たちは、こぞってアメリカの小売業の視察に出掛けていた。高久も例外ではなく、その米国視察からタカキューのチェーン展開へ踏み切ったのである。

1970年1月の社内報「高潮」に、高久はこのように綴っている。
「アメリカの小売業界を視察して、そこに見たものは、高久(たかきゅー)の政策が間違っていないということであった。内外の厳しい環境の中にあっても、高久は戦う力を充分持っている。それは情勢の変化に対応して、常に弾力的に処し得る“ヤングシンキング”があるからである。(中略)又70年代を経過することによって高久は大きく成長するであろうし、企業としての真価も問われよう。そのために我々は総力をあげてこの苦闘の時代に挑戦したいと思う。」

1967年、埼玉県の大宮駅駅ビルに新宿地区以外への初めての出店を果たし、1969年の大井町店開店を皮切りに全国展開を本格化。1970年代初頭には紳士服専門店ナンバーワンの座を不動のものにしていた。

1980年に100店舗達成。1986年には200店舗を達成。この頃、男性に人気のあるモータースポーツのスポンサーにも積極的に参入した。200店舗達成の年には富士スピードウェイで行われた世界耐久選手権レースでタカキューポルシェが優勝。そのほか、タカキュー・トヨタのル・マン24時間レース決勝での完走など、タカキューロゴのスポーツカーは多くの世代の男性の目に焼き付いていた。

チェーン展開とブランディングが疾走するこの頃、同じく力を入れていたのがプライベートブランドである。

タカキュー初めてのプライベートブランドは、1974年、当時世界ナンバーワンの紳士服メーカー米国ハートマークス社との提携による「ソサイアティ・ブランド」。その後1975年にはフランス、ジャックジョネ社の「ニューマン」。1976年にはアメリカのデザイナー「アレキサンダージュリアン」氏と提携。更に1980年アメリカのレザーデザイナー「ロバート・コムストック」氏との提携と続く。

プライベートブランドによる提携は1980年代、さらに加速し、「オリビエ・マスジェ」「ローラ・ピアソン」「ウォモ・アルビテール」「ムービン」「トレンドクラブ」「サリーズ」「ニューヨーク・インダストリー・ウォモ」「ウィルクス・バシュフォード」「アドルフォ・ドミンゲス」「ノーチカ」「ビーネス」「シャリバリ」「カーウォモ」「ハリーモア」「アルマンドバッシー」「ビッグスタッフ」「ザ・ウェザーストア」と次々と展開を果たした。

紳士服専門店として初の500億円を達成。店頭公開から東証二部、そして東証一部へと駆け上がった。売上高500億から1000億まで、わずか3年。爆発的な急成長を続け、名実ともに日本一の紳士服専門店となったのである。

新宿で展示されたスポンサード「taka-Q RACING」ニューマンポルシェ
新宿で展示されたスポンサード「taka-Q RACING」ニューマンポルシェ
表参道(路面店)
表参道(路面店)
表参道(路面店)店内
表参道(路面店)店内

「ファッション屋」の新しい旅路

1980年代を終え、タカキューはひとつの仕事をやり終えた。それは「メンズ・ファッションの大衆化」というタカキューにしかできなかった仕事かもしれない。ひとつの時代を終え、「ファッション屋」は新しい旅路を歩き出す。

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1990年代の模索の時代を経て、タカキューは新たな道を歩き出した。性別、年代、趣向に合わせた魅力ある業態を柱に、そこから派生する様々な業態を更に展開し、どんなニーズにも応えることができる「専門店群」へと生まれ変わった。

『お客様満足業』。それは「売上至上主義ではなく、ファッションを通して、お客様が期待している以上の満足を提供しよう」というタカキューの宣言。全社員の“小売業”から“お客様満足業”への意識の転換を図った言葉だ。

1.ファッションをコーディネイトで提案してお客様に満足していただく
2.プライベートブランドでお客様に満足していただく
3.接客でお客様に満足していただく
4.会員制度でお客様に満足していただく

創業者 高久泰憲がいつも口にしていた「お客様最優先」という経営理念を『お客様満足業』という基本姿勢と、具体的な行動へと明文化した。

そこには「ファッション屋」としての我々の誇りと使命がある

(1)コーディネイトは「着る楽しさ」であり、(2)プライベートブランドは「ワクワクする商品づくり」。そして、(3)接客こそ、これらの楽しみをお客様に伝える最重要手段である。だからタカキューはインターネットの時代も「対面接客」を大切にしてきた。

(4)リピーターとしてご来店下さるお客様への感謝をカタチにした「会員制度」と「特別優待」。年に8回開催される「特別優待」はリピーターのお客様で店は溢れる。それは「着る楽しさ」を多くのお客様に提案し続けてきた「ファッション屋 タカキュー」とお客様との信頼の証である。

そして2002年、新たなキャッチフレーズ「ENJOY FASHION!ENJOY LIFE!(ファッションを楽しむことは人生を楽しむことに繋がっている)」を掲げる。

「My Life My Fashion(ファッションが人生に彩りを添える)」
「ENJOY FASHION!ENJOY LIFE!(ファッションを楽しむことは人生を楽しむことに繋がっている)」

まさしくそれは創業から続く、「ファッション屋=タカキュー」の原点である。「ENJOY FASHION!ENJOY LIFE!」をテーマに、「着る楽しみ」をお客様に提供し、「着る楽しみ」でお客様に満足していただく。

Who is TAKA:Q ?

その答えは、「タカキューはお客様満足業」であり、
「着る楽しみ」をクリエイトする「ファッション屋」である。

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「変えてはいけないもの」を変えないためには
「変えなければいけないもの」を変え続けなければいけない。

「変えてはいけないもの」とは「お客様満足」であり、お客様の満足は時代とともに変化する。そう、「お客様最優先」「お客様満足業」を掲げるタカキューは、いつの時代にも変化への「挑戦」が必要なのだ。

だからタカキューには「挑戦する文化」がある。歴史を遡れば、「日本初」と呼ばれるものも多い。創業から70年の歴史を振り返れば、それは挑戦の歴史であり、「挑戦する文化」こそ継承されるタカキューの風土・DNAなのである。

Who is TAKA:Q ?

その答えは、
「タカキューはお客様満足業」であり、
「着る楽しみ」をクリエイトする「ファッション屋」であり、
「挑戦する者」である。

2020年、70年目を迎えた我々の挑戦は始まったばかりだ。クリエイティブディレクター起用によるMDの刷新や20年ぶりのスーツパターンの全面フルモデルチェンジ、SDGsへの取り組みなど、「人にやさしい」「環境にやさしい」商品への挑戦。また、ECの強化やECと店舗との連動など、ファッションの届け方にも変化は必須である。

そして何よりも、コロナ禍が影を落とす社会、人の心に、ファッションで「気分を上げる」サービスを提供することが「ファッション屋 タカキュー」の役割である。

2020年、いま一人ひとりの挑戦が求められている。70年のトランクの重みを、その手その足に感じ、私たちは「挑戦者」として次なる未来へと歩き出す。

2003年4月 around the shoes第一号店(新宿)
2003年4月 around the shoes第一号店(新宿)
2003年8月 semanticdesign第一号店(イオンモール盛岡)
2003年8月 semanticdesign第一号店(イオンモール盛岡)
2006年4月 m.f.editorial第一号店(イオンモール千葉ニュータウン)
2006年4月 m.f.editorial第一号店(イオンモール千葉ニュータウン)
2018年9月 on the day第一号店(ノースポート・モール)
2018年9月 on the day第一号店(ノースポート・モール)
renomaショップ・イン・ショップ
renomaショップ・イン・ショップ
THE3rdワードローブ・コーナー
THE3rdワードローブ・コーナー
WilkesBashfordコーナー
WilkesBashfordコーナー

タカキューを表す6つの言葉